オンラインレッスンやっています

「私はこうやって作曲を覚えました」作曲はじめてストーリー(4/6)

制作への行き詰まり、そして転機

途絶えてしまった「作曲への熱意」

ユニットでの音楽活動は足掛け二年半ほど行いましたが、お互いが目指す方向がずれてきたことで残念ながら解散となってしまいました。

その後の私は、改めてソロのアーティストとして弾き語りでのライブ活動を再開するようになっていきます。

ここで、「さあ、心機一転、がんばろう!」といきたいところですが、少し問題が発生します。

その頃の私は、どことなく自分の作曲に行き詰まりを感じるようになっていたのです。

曲作りに使うコードは前回までの焼き直しで目新しさがなく、コードをつなげた構成も思いつくほとんどのものを経験したことがある。

頭に浮かぶメロディも、それまでに作った曲とどこか似たようなものばかりで、これという光るものが生み出せずにいました。

新しい曲を作ろうと思ってギターを抱えても、どうにも気分が乗らず、曲を作る事ができないという状態。

高校一年生で作曲を始めてから、それまで一度もなくなることのなかった創作欲が、そこで初めて途絶えてしまったのです。

当時、23歳から24歳くらいになるあたりでした。

「作曲」が生きがい、とまで言ってしまえるくらい自分を形成するひとつになっていたので、これにはかなり落ち込みました。

沢山の作曲やライブを経験してきたプライドを持ちながらも、その一方で曲が作れないもどかしさを感じる日々。

二つの感情の間で不安定な気分を抱えたまま、自分の音楽活動にも誇りが持てず沈んだ心で毎日を過ごしていました。

制作のスタイルを変える大きな出来事

なんとか現状を打破しようと考えた私は、「環境が変われば音楽活動への熱意も戻るのではないか?」と考え、オーディションを受けることを決意しました。

いくつかデモ音源を送付した中で、ある小さな音楽事務所に声をかけていただき、そこからやり取りが始まっていきます。

話が徐々に進んでいく中で、その事務所の持つレーベルからのシングルリリースを目指すことになり、そこから自分の事務所通いがスタートしました。

当時で言う、インディーズ活動の始まりです。

その音楽事務所での取り組みは、主にリリースのための曲チェックを目的としていました。

オリジナル曲での音源化を予定していたことで、必然的に自分の作品が必要となります。

同時に、作った曲を担当者の方に、「音源化できるか」という観点から判定してもらう作業が行われていきます。

それまで、すべて自分の考えで自分の思いどおりに作曲をしてきた私にとって、作品の良し悪しを他人にはっきりと判断されることは新鮮でした。

また作品に対してアドバイスをいただける環境を得たことも、それまでにないことでした。

そして今思うに、この「オリジナル曲を作り、上級者よりアドバイスをもらう」という一連の作業こそが、自分の作曲に対する取り組み方を大きく変えるきっかけとなりました。

本当の意味での作曲のやり方を知る

事務所での担当者の方はNさんといって、当時の自分よりも15歳以上年齢の離れた音楽経験豊富な男性でした。

Nさんには最終的に自分のオリジナル曲をアレンジしていただく予定で、編曲者的な立場として私のデモ音源のチェックからアドバイスまで、総合的に面倒を見ていただきました。

彼のアドバイスは的確でわかりやすく、他人から作曲を習ったことのない自分にとってはすべてがためになる事ばかりでした

「曲のこの部分がこうなっているとリスナーにはこう聴こえる」、というような指摘から「ではどうやって曲を組み立てていけばいいのか」、「曲作りにはどういう気遣いが必要なのか」というようなことまで。

それはまるで作曲の授業のように、細かくいろいろなことを教えていただきました。

作曲についてほとんどのことをわかった気でいた自分が小さく思えるほど、すべては初めて知ることばかり。

「目からうろこ」とはこのことで、道が開けた気持ちになって本当の意味での作曲のやり方に触れていきました。

アドバイスいただいた内容や教わったことを踏まえてまた新たにオリジナル曲を作る。

そして、さらに二週間後にまたその曲についてコメントをもらうという、このやりとりが何回も繰り返されていきます。

その取り組みの中で、どうにかして納得してもらえる曲を作りたい一心で、その時期から私は初めて真剣に作曲を勉強するようになっていきます。

【次ページ】⇒現在の制作スタイルの基礎