現在では、テクノロジーの進化によって打ち込み(デジタルサウンド)の音楽を耳にする機会が以前にも増して多くなりました。
そんな中で、旧来の生演奏を特に好む層の人たちから
打ち込みの音楽がどうにも好きになれない
という声をもらうことがあります。
「生演奏」も「打ち込み」もどちらも音楽であることに違いないため、普段作曲の先生として活動している私としては少し切ない気持ちになってしまうのも事実です。
こちらではそんな「打ち込み音楽嫌い」なみなさんの主張と、お伝えしたい打ち込みの魅力とその例などについて少しご紹介してみます。
目次
「打ち込み音楽」が嫌いな理由
はじめに、「打ち込み音楽が嫌い」という皆さんの主張(嫌いな理由)について整理してみます。
理由1:音が嫌い
まず最も多いのが、この「音(音色、サウンド)」に関する理由です。
生演奏派の人たちにとって「打ち込み音楽=人工的で無機質なデジタルサウンド」であり、その不自然な音の雰囲気に馴染めないという人がやはり沢山います。
打ち込み音楽=電子音、というイメージ
そもそも「打ち込み」という言葉は「音をデータとして打ち込むこと」からきているもので、「打ち込み音楽」とは正確には
生演奏ではなく(データを事前に打ち込むことによって)マシンによって演奏される音楽
のことを指すものです。
それが転じて、一般的には
打ち込み音楽=デジタルサウンドによって奏でられる音楽
という認識となっており、いわゆるシンセサイザーやそれを含む電子音全般を「打ち込みの音」と捉えることが多いです。
大昔のゲームサウンドを連想させる、「ピコピコ…」なサウンドを打ち込み音楽の象徴と捉えている人もいるはずです。
打ち込み音楽が嫌いな人からすればそのようなサウンドはある種の機械的な音であり、
- リアルさに欠ける
- 冷ややかで感情移入しづらい
などの感想を持つのも当然です。
ボーカロイドの無機質な声
また最近ではボーカロイドの登場によって、本来打ち込みのしようがない人間の声までもがデジタルサウンドによって表現できる時代となりました。
「初音ミク」などに代表されるボーカロイドを活用した音楽は、生歌を好む人たちにとっては
「不自然なデジタルサウンドによって歌われる、人間味の無い歌」
で、それが打ち込み音楽嫌いに拍車を掛けているとも考えられます。
理由2:揺らぎや抑揚が無いのが嫌い
二つ目の理由が「揺らぎ」や「抑揚」に関するもので、これも「データによって演奏される」という打ち込み音楽ならではといえます。
生演奏は絶対に揺らぎや抑揚がある
人間が実際に演奏する音楽には、必ず「揺らぎ」や「抑揚」が生まれます。
より具体的には、
- 音量
- リズム
- アクセント、タイミング
などが、どんなに頑張っても絶対に不均等になってしまうもので、言い換えればそれこそが生演奏の味になります。
生演奏によって、上記で挙げた「音量」「リズム」「タイミング」などを寸分の狂いも無く一定にするのは不可能です。
データによる演奏は「味気ない」
反面で、打ち込み音楽は既に述べた通りデータによって表現される音楽であるため、基本的には「規則正しく表現できてしまうもの」です。
上記で述べた「生演奏の味」を好む人にとって、揺らぎや抑揚のない音楽は文字通り味気なく、その点が打ち込み音楽への嫌悪感につながっています。
もちろん、上記で述べた揺らぎや抑揚を打ち込み方によって作り出すことは可能ですが、それでもやはりそれらが人工的なものだと感じられてしまうことは多いです。
理由3:文化や思想が嫌い
最後に挙げられるのが、「打ち込み音楽」にまつわる文化や思想を嫌うケースです。
打ち込み音楽は亜流、という考え
生演奏によって表現される音楽が
古くからあるクラシックなもの≒主流
だとすれば、打ち込み音楽はある意味でそれをテクノロジーによって再現したもの≒亜流だと解釈することもできます。
つまり、ここで挙げたような理由で打ち込み音楽を嫌う人は
「打ち込み音楽」は「生演奏による音楽」の下に位置するもの=生演奏の音楽より劣るもの
と捉えていることが多いです。
特に自分自身が楽器の演奏に親しんでいたり、クラシックな音楽に強い思い入れのある人ほど、そのような理由から極端に打ち込みを嫌っている印象を持ちます。
打ち込み音楽=マニアックな人たちのもの
また、そもそも打ち込み音楽がデータによって表現されるものであるため、「デジタル=IT系、理系」に属するもの、と捉えている人も多いです。
この印象が
- 機械に向かって一人で作業に没頭する
- コンピューターやIT系の概念=意味不明なものを駆使するマニアックな行為
などに変換され、「オタク的な要素を持つもの」と解釈されることもあります。
そのような文化的印象によって打ち込み音楽を毛嫌いしている人も一定数います。
打ち込み音楽を嫌う理由のまとめ
ここまでに挙げた内容をまとめると、打ち込み音楽を嫌う理由になっているのは
- 音が生演奏のようにふくよかではなく無機質
- 音楽に人間的な揺らぎや抑揚がない
- それを作る行為や文化に馴染めない
などだと考えられます。
それと同時に、打ち込み音楽を強く嫌う人たちのほどんどは生演奏による音楽に対してより強い思い入れを持っているものです。
「打ち込み音楽」の魅力
私自身は「生演奏」も「打ち込み」もどちらも同じ音楽だと捉えており、どちらも同じように好きです。
どちらが優れている/劣るという観点を持ちあわせておらず、いわゆるここでテーマとしているような「打ち込み音楽」にも独自の魅力があると思っています。
以下にそれを挙げてみます。
1. 無機質がかっこいい
まず、打ち込み音楽を嫌う人たちが声をそろえる「無機質な音」「揺らぎや抑揚のない演奏」について、個人的にはそこにこそ魅力を感じます。
例えば、以下は打ち込み音楽の典型でもあるミニマルテクノなサウンドを持つ曲ですが、この無機質さは生演奏では絶対に表現できないものです。
このような、完全に整えられた音の連続をぼんやりと聴いているだけでも、打ち込み音楽ならではの不思議な感覚が得られます。
2. 打ち込みならではの表現が味わえる
また、生演奏では表現しづらいような音階や、音の連続、ダイナミクスなども打ち込みであれば表現できてしまうため、それも打ち込み音楽特有の魅力といえます。
上記は、打ち込み音楽の現代的な解釈でもあるEDM(Electronic Dance Music)に分類される音楽の例です。
楽器の生演奏では絶対に表現できないようなシンセサウドの連続や、不思議な音階などが盛り込まれており、このあたりは実にEDMらしいものだと感じます。
3. いろいろなサウンドが聴ける
打ち込み音楽はデジタル表現のひとつであるため、作り込みによって無限にサウンドを生み出せます。
そのため、ひとえに「打ち込み音楽」といってもそのサウンドはさまざまで、いろいろな楽しみ方ができてしまうところも魅力のひとつといえそうです。
上記の曲では、打ち込み音楽ならではの無機質な雰囲気を「スタイリッシュ」という雰囲気に変換しています。
このように、無味乾燥な印象を与えがちなサウンドもアレンジによってクールに表現することができます。
また、以下のは打ち込みの音を激しくして、ロック的に解釈したような曲です。
こちらの例のように、攻撃的なサウンドも作れてしまいます。
また、既に述べた通り古いゲームサウンドのようにチープな音も打ち込みでもちろん表現できます。
上記はTOTOの「Africa」を打ち込み音楽によって表現したものですが、ネタ元(以下)と比べて独特な味わい深さがあると感じます。
4. 電子音ならではの温もりも感じられる
さらには、ここまでに述べていた通り「打ち込み音楽=無機質=冷たい」という一般的なイメージがある反面で、曲によってはそこから温もりのようなものも感じられてしまいます。
上記の例はその典型といえるものですが、これも打ち込み音楽の表現の幅を感じさせる一つの例で、
「無機質でありながら温かい」
という、生演奏にはない不思議なサウンドを生み出しています。
ここまでに挙げたいくつかの例を聴くだけでも、打ち込み音楽のアプローチにはさまざまな可能性があると感じられます。
まとめ
ここまでに「打ち込み音楽が嫌い」というみなさんの主張と、それを少しでも緩和してもらうような打ち込み音楽の魅力を実例と共に紹介しました。
個人的な感覚では、やはり単なる「打ち込み音楽」はなかなか馴染みにくいものではありますが、実際のところ上記で挙げたようにそれらはいろいろな角度から追求されています。
そこには生演奏と同じく多様な世界が広がっているため、機会があれば是非少しでも触れてみていただきたいです。
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