適当な作曲を「芸術」や「センス」でごまかしてはいけない|リスナーを裏切らない作曲の心構え

作曲をしていると、いろいろなことを「芸術」や「センス」という言葉でごまかして進めてしまうことがあります。

こちらのページではその点について少し考えていきます。

都合のいい「芸術」や「センス」という言葉

すべて作曲者が自由にやれる

作曲に正解はありません。

どんなメロディもコード進行も、またどんなアレンジをするかも、すべては作曲者の自由です。

そんな中で、曲作りを「これが芸術だ」「これが自分のセンスだ」という言葉でいい加減に進めてしまったことはないでしょうか?

きちんとした曲を目指すことを考えると、このような作曲の進め方はその方針に反しているといえます。

初心者はひたすら自分を許容すればいい

もちろんこのような作業の進め方は、初心者が作曲を継続させるうえではとても大切です。

そもそも自分の作り出す曲を認めない限り初心者が作曲を続けていくことはできませんし、時には大きな自信を持って、自分の才能に酔いしれてしまうくらいが丁度いいものです。

しかしある程度の作曲を経験してきた人で、かつ自分の曲をより良くしていきたいと考える人がいつまでもこのような姿勢で作曲に取り組んでいる状態は、決して好ましいとはいえません。

適当な行為を正当化する

上記の「好ましくない姿勢」をより詳しく言い表すと、それらは主に以下のような作業の進め方のことを指します。

  • ただなんとなくやっているだけなのに、それを「自分らしさ」だとして許容する
  • やり方がわからない部分を「芸術的だ」というもっともらしい理由によって適当に済ませる

音楽はスポーツのように勝ち負けがはっきりしていないため、作曲でも「こんな自分のセンスを受け入れてくれる人もいるだろう」と適当に作品を仕上げてしまうことが多いものです。

正解がないゆえに中途半端な作業を良しとしてしまい、そのいい加減な姿勢が意図がなく熱意のない作品を生みます

リスナーの期待を裏切らない

作曲にしっかりと向き合う

自分の作った曲を他人からしっかりと評価してもらったり、常に水準以上の作品に仕上げるためには「芸術」や「センス」という言葉に逃げない姿勢を持つことが大切です。

平たく言えば、自分の仕事にしっかりと向き合う、ということです。

これは音楽制作だけではなく、すべてに共通することでもあります。

「なんとなく」は芸術ではない

もしあなたがプロの作曲家やアーティストとして活動していきたかったら、「なんだかよくわからないけどこんな感じかな」と適当に終わらせるような作曲は今すぐにやめるべきです

それは、どんな業界でも適当にやって評価されているプロはおそらくいないからです。

身の周りのいろいろな人たちが自分の仕事に誇りを持って取り組み、しっかりとした結果を出すために日々努力しています。

経験を積み、勉強や分析をして正しいやり方を身につけ、判断力や感覚を磨いて仕事をしています。

「芸術」や「センス」は、そういったことができている人たちが使うべき言葉で、「なんとなくやる」のと「芸術」とでは意味が全然違います

しっかりとした作品を目指して作曲をしている人は、この点について改めて自分を振り返ってみて下さい。

誠意はリスナーにも伝わる

そもそも、適当に作った作品はやはり周囲の人に評価されないものです。

そのような作品からは意図が感じられず、仕上がりが中途半端で伝わるものがありません。

リスナーの期待を裏切らない確かなものを作るためにその点をもう一度理解して、自分の作る曲に責任を持って取り組んでください。

そのような姿勢で作曲を続ければ熱意は必ずリスナーに伝わって、おのずと作品は評価されていくはずです。

まとめ

ここまで作曲における「芸術」や「センス」という言葉について考えてきました。

作曲に慣れてきた頃にこのようなスタンスを取ってしまうことが多く、それはいつまで経っても周囲から評価が得られない原因にもなります。

これからより良い曲を生み出していきたいというひとは是非この点を肝に銘じて、確固たる姿勢で作業に取り組んでいけるよう心がけていきましょう。

「手を抜かない」という姿勢が大切です。