私は仕事柄、作曲をやりたい多くの人たちと日々接しています。
またポップス・ロックを専門にしていることからレッスンでは作詞について話題になることも多いですが、そこでいつも感じるのが、
「作詞・作曲」の才能やセンスは確かにある
ということです。
人によってメロディやコードをつなげる技術、また歌詞の表現力などには個人差があり、同じような時期に作詞・作曲を始めても、上達のスピードや仕上がる作品の質には違いが生まれるものです。
では、その「才能」や「センス」はどのような経緯によって身につけることができるのか、またそれらの個人差はどのように生まれるのかといわれると、ひと言では説明できない難しさがあります。
こちらでは、そんな「『作詞・作曲』の才能」について、私自身の経験をもとに詳しく解説してみます。
才能は「どれだけ好きか」
結論からいえば、作詞・作曲の才能は「どれだけ作詞・作曲が好きか」によって決まるところが大きいです。
言い方を変えると、それらについて長く/深く考えてきている人ほど、作詞・作曲の作業を円滑にこなし、かつ質の高い作品を作れるものです。
現在、
「ああ、自分には才能が無いな」
と感じている人は、そもそも作詞・作曲がそこまで好きではないのかもしれません。
また、いわゆる「作詞・作曲の才能がある人」はそれらについて長く/深く考えてきている人であり、その違いは
作詞・作曲に使った時間の長さと濃さの違い
だといえます。
ここで述べているように、才能の度合いは「『作詞・作曲』にどれだけ熱意を持てるか」によって決まるものとまず認識して下さい。
「聴きたい」と「作りたい」は別もの
ここでポイントとなるのが「『曲を聴くこと』と『曲を作ること』は別もの」だということです。
私はこれまで、さまざまな「曲作りに興味を持つ人」を見てきましたが、
「音楽が本当に大好きで、常に良い曲・良い歌詞を聴いていて…」
という人が必ずしも曲を作ることに長けているかといわれると、そうではないことがわかっています。
より簡単にいえば、「聴きたい」と「作りたい」の欲求は別のものであり、それらは密接に関係していながらも
- 「聴きたい」かつ「作りたい」と思える人
- 「聴きたい」けれど「作りたい」とは思えない人
の二者が存在するということです。
「自分はこんなに音楽が好きなのにどうして作れないんだろう?才能が無いのかな?」
と感じてしまっている人は後者に相当することが多いもので、これはつまり「聴くことは得意だけど作ることはそこまで得意ではない(=熱意が持てない)」という状態にあることを意味します。
現在悩んでしまっている人は、この点について一度確認してみて下さい。
「やってみたいな」と思うものの、いざやってみるとそれほど熱意を持てない、ということはよくあるものです。
補足
ここでさらに補足すると、世の中を見渡せば
曲を聴くことは得意だけど、曲を作ることは得意ではない
という人がほとんどで、仮に自分がそちら側だったとしても特に珍しいことではないといえます。
曲が思うように作れないからといって、必要以上に劣等感を感じることはないのです。
きっと作詞・作曲以外に得意なことがあるはずなので、そちらで才能を発揮すればいいのです。
才能がある人は自ら進んで「作詞・作曲」を探求する
話を元に戻すと、「作詞・作曲の才能」は「作詞・作曲が好き」の度合いに比例するもので、より突っ込んでいえば「作詞・作曲」について
- 深く考えることができる
- 作ること(作業)に集中できる
- 「創作」と「反省」と「改善」を繰り返すことができる
という状態にあるといえます。
また、根本的に「作りたい」という欲求に溢れているのも特徴のひとつです。
既に述べた通り、「作詞・作曲の才能がある人」はもれなく上記に相当し、人から命令されるまでもなく自ら進んでこれらをこなします。
そう考えると、でき上がる歌詞・曲の質が高く、また作品が次々と完成していくのは当然です。
興味と環境による要因
この「作詞・作曲が好き」という状態には「環境」と「興味」が大きく影響しています。
いわゆる「作詞・作曲の才能がある人」は子供の頃から歌詞や曲に触れる機会が多く、同じく「ものを作る」という行為についても親しんでいるものです。
これには、まずそもそも「音楽を身近なものとして感じられる環境」があり、そこに両親や親戚・近所に住む人など、近しい人が何かを作ることを仕事や趣味にしているケースが多いです。
直接的に「楽器の演奏」を経験していたり、学生時代に「作詞・作曲」をしている人が身近にいた、ということも考えられます。
また、この「環境」と「興味」のそれぞれは
- 興味があるから環境が作られる
- 環境があるから興味が育つ
というように、互いに影響するものでもあると考えられます。
つまり、上記で挙げたような環境があるからこそ「作詞や作曲」に興味を持ち、同じくそのような興味があるからこそ、よりそういった環境に目が行くのだと思います。
作詞・作曲に興味を持てないこともある
上記の反面で、
- 子供の頃から音楽が身近にあった
- 創作は好き
- けれど作詞・作曲には興味を持たなかった
という人が多いのも事実で、これには「作詞・作曲以上に興味のあるものが他にあった」ということなどが理由として考えられます。
経験を積むとそれが才能になる
では、上記を踏まえ「『作詞・作曲の才能』をどのようにして身につけることができるか?」といえば、その答えは
- 音楽や創作活動を身近なものとして感じられる環境に身を置くこと
- 「作詞・作曲」に興味を持つこと
- 「作詞・作曲」を繰り返すこと
の三点に集約されます。
これらを通して作詞・作曲の熱意を高め、かつその経験を積むほどに才能は身についていきます。
「興味」のあとに「才能」がくる
また、そもそもこれらの点は、意図してそのようになるものではありません。
「『作詞・作曲』の才能を身につけなきゃ」
といって無理やり音楽を聴いたり、無理に興味を持とうとする人は少なく、誰に言われるまでもなく必然的に興味が湧き、そのような環境に自然と身を置くことになるものだということです。
言い換えれば、「興味」のあとに「才能」があるのであって、そのような興味が持てなければ才能は持てないものと認識して下さい。
そのような場合には、上記でも述べた通り、他のもっと才能を発揮できることに時間を使うべきだと私は考えています。
まとめ
ここまで「作詞・作曲の才能」について解説してきましたが、改めて考えると、「才能」を得るためには純粋にそれらを楽しむ姿勢が大切だということがわかります。
興味や熱意によって才能が伸びるとわかれば、あとは作詞・作曲を楽しみ、興味を優先させながらさまざまな経験を積むのみです。
そんなことをやっていれば、自分でもわからないうちに、いつのまにか才能が身についているものです。
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